「店長、ポケモンカードの大会をやってもらえませんか?」
ハイパーヨーヨーの認定員としてエンゼル中間店に入り浸っていたセイゴとショウは店長に切り出した。
店長は怒ると怖いが普段は人当たりが良い人で、いつもネックストラップを付けているダイエーホークスの大ファンだったので、ダイエーホークスが勝利した翌日の特に機嫌の良い日を選んだ。
そう、ここはダイエー中間店、ダイエーホークスが勝利した翌日はお祭りムードすらあった。

この頃、ポケモンカードの店舗大会の情報は一切なかった。
インターネットも普及していなかったし、クリーチャーズからの情報も少なかった。
今考えればクリーチャーズの戦略だったと思うが、拡張パックに収録されているカードも分からず毎日が発見の連続だった。
拡張パックを開ける時には手が震えたし、デッキ構築はカードを読み比べながら試行錯誤した。

この提案は子ども達の損得を考えていない“小さな夢”でしかなかったが、ハイパーヨーヨーの認定会や店舗大会で作り上げたコネ、信頼、店長のノリ、そして“ないものは作ってしまえ”という雰囲気は決して小さくなかった。
店長はその場で「1回に限り開催」と「10人以上集まれば次回を開催」の2つの条件を提示した。
次回がないかも知れないということ以外にリスクはなかったので、拒否する理由は何一つなかった。
今ならオフィシャルサイトに店舗大会の日程が掲載されるところだが、先述の通りクリーチャーズのフォローはなく、気の利く3人の女性店員により数多くのポップと呼ばれる店内広告が作られた。

1999年4月25日、第1回エンゼルメガバトルが開催された。
もっとも、この大会名は後付けであり、実際は大会名という大層なものはなかった。
参加者はセイゴ、ショウ、ヨウヘイ、タケシ、店長を含め9名、次回の開催はなくなった。
今では考えられないと思うが、賞品はすべてポケモンカードと関係ないもので、名誉だけが懸かっていた。
5名と4名に分かれての総当たり戦の後、各ブロックの上位2名による勝ち抜き戦が行われた。
戦前の予想通り、たねポケモンから受けるダメージを10にするエリカのミニリュウ、進化ポケモンからダメージを受けないミュウ、20ダメージまでしか受けないバリヤード、進化をロックするプテラを駆使するセイゴに死角はなかった。
ただ、決勝戦はハイパーヨーヨーの販売促進イベントと同じく店舗前の広場で行われ、公開処刑だった。

サプライズは表彰式。
店長から、2週間後に第2回大会を開催することが発表された。
今思えば、参加人数が奇数になるのに店長が参加したのは店長なりの気配りだったのだろう。

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