1999年8月22日の全国大会を経て、1999年8月28日の第7回エンゼルメガバトルから1年後の全国大会へ向けて動き出した。

九州大会と全国大会のデッキのアイディア・完成度の違いを肌で感じ、誰もが頂点は遠いと感じていた。
ちょうど、エンゼルメガバトルの参加者が20名近くになり、進行を担当していた店長は「もう、私のレベルでは君達にはついていけない」と言い、大会運営の改革が必要だった。
改革は、セイゴに委ねられ、セイゴはレギュレーションとジャッジ制度の構築に着手した。
エンゼルメガバトル参加者から基本ルールを熟知しているプレイヤーを10名ほど選出し、難解なルール10問によるジャッジ認定試験を実施し、全問正解のセイゴ、8問正解のヨシユキ、7問正解のアンドウの3名が選ばれた。
5名を選出する予定だったが、次点が4問正解と大きな差があったので3名にした。
店長の代わりとなる進行役も必要だったため、1999年9月26日の第8回エンゼルメガバトルでセイゴがプレイヤーから退くことも決まった。
3大会連続で優勝すると殿堂入りというルールだったが、セイゴはこれを断念した。

迎えた1999年9月26日の第8回エンゼルメガバトル、これまでの参加者の増え方から22名の参加を想定していたが、25名と想定を上回る参加者が集まった。
セイゴは引退大会にこれまでより高い集中力で挑み、見事に優勝を成し遂げた。
そしてこの日、最も大きな波となったのは大会後の出来事。
予選で敗退したトシユキとシンイチは、これまでのように2人でやっていてはエンゼルメガバトルのレベルについていけないと感じ、歩いて帰るセイゴ・ヨウヘイ・ヨシユキ・タケシに詰め寄った。

トシユキ・シンイチ「ジムに入れて下さい」
セイゴ「全員が良いと言えばOK」
ヨウヘイ「どっちでも良い」
トシユキ「良いですよね?」
セイゴ「ヨウヘイは良いとは言っていない」
タケシ「ハハハー!」

トシユキ「お願いします!土下座します!」
ヨウヘイ「どうしようかなー」
シンイチ「お願いします!」
ヨウヘイ「良いよ」
タケシ「ハハハー!」
トシユキ「オレは?オレは?」
ヨウヘイ「ダメ」
シンイチ「ハハハー!」

※セイゴとヨウヘイはネタでやっています。
事前の打ち合わせはしていませんが、阿吽の呼吸というやつです。

セイゴ「あの時は結構しつこかったね」
トシユキ「マジでなかなか入れてくれんけ大変やった」
ヨウヘイ「そんなことあったかね?」
セイゴ「酷っ!」

1999年11月7日の第9回エンゼルメガバトルからは、ジャッジ推薦によるフェアプレー賞も導入された。
店舗でしか告知されていない自主大会兼店舗大会はクチコミで広がり、福岡市・長崎県・熊本県・山口県から参加するツワモノも現れた。
しかし、16回の大会で一度も、中間市・北九州市からタイトルを流出させなかった。

10年ほど後の山口県出身のジムメンバーとの会話。
ジュン「えっ?あの大会をやっていたのがこのジムなんですか?公式大会よりレベルが高いと聞いたことがあります。九州ポケカを語る上で絶対に外せない伝説の大会じゃないですか」

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