Episode6 新興勢力現る
2014年5月15日 ジムの歴史1999年12月19日の第11回エンゼルメガバトルまで、ジムメンバーがコンスタントに優勝・入賞していた。
ライバルは、団地下ジムと痔民党。
団地下ジムは、同じ中学校に通う同級生がいつも団地下で遊んでいることから付けたジム名。
痔民党は、ふざけているだけのように見えるが、当時政権を握っていた自民党のようにエンゼルメガバトルで政権を握りたいという思いとユーモアから付けたジム名
メンバーはどちらも4名。
しかし、2000年に入ると勢力図は一変する。
1999年終盤から参加していたヘヴンズ#ジムが一気に実力を付けてきた。
2000年1月23日の第12回エンゼルメガバトルを制すと、入れ替わり立ち替わり新メンバーが現れ、一気に20名を越える大所帯となった。
“ジム”を名乗ってはいるが、同じ中学校のポケカプレイヤーを全員取り込むという驚きの手法だった。
団地下ジムと痔民党は表彰台から追い出され、6名の私達も表彰台に1人乗せるのが精一杯だった。
ちょうどこの頃、ジムとして応募して認定されるとポケカ雑誌「トレーナーズ」に掲載されるという企画があったが、何度応募しても認定されず、ジムとして辛い時期を過ごした。
後に、そこまで認定しないならとこれを逆手に取り、堂々と「非公認ジム」を名乗ることになる。
ジムとして“絶対に負けられない戦い”と位置付けていた2000年2月27日のナッシーチームバトルは、3名1組のチーム戦、6色すべてのエネルギーカードを3名合計で5枚ずつデッキに入れること、パソコン通信・ダウジングマシーン・超エネルギーリムーブは3名合計で各2枚までという複雑なレギュレーションで行われた。
ヘヴンズ#ジムはチーム内のデッキ構築の連携に失敗し、私達は念願のNo.1ジムの称号を手に入れた。
それも、単に3つのデッキを作るのではなく、全員がタケシのキュウコンを使うというチームコンセプトを投入した。
その1ヶ月後に、年間王者決定戦 エンゼルメガバトル チャンピオンズリーグ1999-2000を開催することも決まった。
日程は、入賞者中心のプレーオフと優勝者中心の予選大会が2000年3月26日、予選通過者とシード権獲得者による決勝大会が2000年4月2日。
前半戦を引っ張ってきた私達・団地下ジム・痔民党、後半戦を席巻したヘヴンズ#ジム、すべてのジムが集まり、この場で決着を付けようと約束をして別れた。
ライバルは、団地下ジムと痔民党。
団地下ジムは、同じ中学校に通う同級生がいつも団地下で遊んでいることから付けたジム名。
痔民党は、ふざけているだけのように見えるが、当時政権を握っていた自民党のようにエンゼルメガバトルで政権を握りたいという思いとユーモアから付けたジム名
メンバーはどちらも4名。
しかし、2000年に入ると勢力図は一変する。
1999年終盤から参加していたヘヴンズ#ジムが一気に実力を付けてきた。
2000年1月23日の第12回エンゼルメガバトルを制すと、入れ替わり立ち替わり新メンバーが現れ、一気に20名を越える大所帯となった。
“ジム”を名乗ってはいるが、同じ中学校のポケカプレイヤーを全員取り込むという驚きの手法だった。
団地下ジムと痔民党は表彰台から追い出され、6名の私達も表彰台に1人乗せるのが精一杯だった。
ちょうどこの頃、ジムとして応募して認定されるとポケカ雑誌「トレーナーズ」に掲載されるという企画があったが、何度応募しても認定されず、ジムとして辛い時期を過ごした。
後に、そこまで認定しないならとこれを逆手に取り、堂々と「非公認ジム」を名乗ることになる。
ジムとして“絶対に負けられない戦い”と位置付けていた2000年2月27日のナッシーチームバトルは、3名1組のチーム戦、6色すべてのエネルギーカードを3名合計で5枚ずつデッキに入れること、パソコン通信・ダウジングマシーン・超エネルギーリムーブは3名合計で各2枚までという複雑なレギュレーションで行われた。
ヘヴンズ#ジムはチーム内のデッキ構築の連携に失敗し、私達は念願のNo.1ジムの称号を手に入れた。
それも、単に3つのデッキを作るのではなく、全員がタケシのキュウコンを使うというチームコンセプトを投入した。
その1ヶ月後に、年間王者決定戦 エンゼルメガバトル チャンピオンズリーグ1999-2000を開催することも決まった。
日程は、入賞者中心のプレーオフと優勝者中心の予選大会が2000年3月26日、予選通過者とシード権獲得者による決勝大会が2000年4月2日。
前半戦を引っ張ってきた私達・団地下ジム・痔民党、後半戦を席巻したヘヴンズ#ジム、すべてのジムが集まり、この場で決着を付けようと約束をして別れた。
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