Episode10 初優勝からの3日
2014年5月24日 ジムの歴史 コメント (2)2000年7月31日、ワールドチャレンジ(夏) 九州大会の翌日、ヨウヘイは以前にも増してポケカに熱が入っていた。
トシユキがジムに初優勝をもたらしたことに大いなる刺激を受けていたが、トシユキの全国大会をサポートすべきと考えていたセイゴとはベクトルが合っていなかった。
2000年8月1日、ワールドチャレンジ(夏) 九州大会の翌々日、ヨウヘイはとんでもないことを言い出した。
ヨウヘイ「中国・四国大会に行こう!」
セイゴは、ドン引きだった。
中国・四国大会の会場は広島。
その日程は2000年8月2日、つまり翌日。
福岡県から一人で出たことがなく、旅費を持たない高校生と中学生が一念発起で広島へ、あり得ない話だった。
書店へ行き時刻表を調べると、青春18きっぷを使って普通列車で行くのが安くて現実的と言うこと、広島までの終電は17時40分頃と言うことが分かった。(注:当時はパソコンや携帯電話がまったく普及していない時代です)
その時の時刻は16時頃で、迷っている時間はなかった。
電車の乗り換えの駅と時刻、会場への行き方をメモし、ヨウヘイ・ヨシツグ・カオルの3人が行くことに決まった。
3人になったのは、もちろん青春18きっぷが5枚だから。
一旦家に帰り支度をして、駅で待ち合わせた。
駅に着いたのは出発数分前、まさに間一髪だった。
ドタバタで出発したこともあり、3人はハイテンションだった。
普通列車で6時間、何と言うこともなかった。
ポケカの話もポケカ以外の話も盛り上がり、山陰本線では車内に他のお客さんがいない上にほとんど停車しないので熱戦が繰り広げられていた。
4ヶ月前はトクヒロくんがカメックス+オーダイルで私達を圧倒していたが、この4ヶ月でセイゴはカメックス+オーダイルを完璧に仕上げ、テストプレイヤーを務めていたカオルはプレイングを100%マスターしていた。
ヨシツグは、セイゴやカオルの意見を多分に聞いていたが、3枚だけ異なるデッキを使っていた。
2人がカメックス+オーダイル一択と考えた中、ヨウヘイはバクフーン単を使い、2人を圧倒していた。
ヨシツグとカオルは最初はまぐれだと思っていたが、その圧倒的なスピードに付いて行けず、実に90%のゲームを失っていた。
中国・四国大会の中学生・高校生部門は640人の定員を僅かにオーバーし、当日抽選となった。
当日抽選で落ちるのは指で数えるほど、落ちるわけはなかった。
10人1グループで3戦の予選を行い、上位1名が本選へ進出、最大で5人が全勝となる恐ろしいほど厳しい形式だった。
ヨウヘイ、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
ヨシツグ、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
カオル、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
3人揃って本選へ進出。
本選開始時に3人が辞退し61人、2人が予選成績の偽装で失格になり59人。
ヨシツグは1回戦で敗退しベスト64。
ヨウヘイは4連勝後に、体調不良により準決勝を辞退しベスト8。(当時は辞退した場合、1戦前の人が繰り上がったため、1戦前の勝利が取り消された)
カオルは5連勝で決勝に進出。
決勝の相手のデッキはリザードンだったが、ダメージカウンターを1個も乗せられることなく6-0で勝利し、ジムに2度目の優勝をもたらした。
4日の間に2会場連続で優勝、私達は紛れもなく大きな流れを作っていた。
カオルはデッキ構築を一切せず、渡されたデッキを正確にプレイングして意見をフィードバックするテストプレイヤーというポジションだったため、全国大会に出場するのは不適切と考えており、全国大会出場を辞退した。
マスタージャッジを務めていたトリイさんは、カオルのプレイングを食い入るように見ており、その速さと正確さを高く評価していた。
スタッフの1人が「全国大会での優勝の可能性も高いのに勿体ない」と漏らすほどだった。
準優勝者が繰り上がりで全国大会に出場したが、準々決勝でヨウヘイにも0-6で敗れていたことが分かり、私達は7勝2敗のプレイヤーが全国大会出場という珍事の当事者となった。
ヨウヘイ「準々決勝の対戦相手が同じ炎のリザードンを使って決勝まで進めたのだから、オレも決勝まで進めたはず」
カオル「ヨウヘイが決勝まで進めば優勝はできなかった」
トシユキがジムに初優勝をもたらしたことに大いなる刺激を受けていたが、トシユキの全国大会をサポートすべきと考えていたセイゴとはベクトルが合っていなかった。
2000年8月1日、ワールドチャレンジ(夏) 九州大会の翌々日、ヨウヘイはとんでもないことを言い出した。
ヨウヘイ「中国・四国大会に行こう!」
セイゴは、ドン引きだった。
中国・四国大会の会場は広島。
その日程は2000年8月2日、つまり翌日。
福岡県から一人で出たことがなく、旅費を持たない高校生と中学生が一念発起で広島へ、あり得ない話だった。
書店へ行き時刻表を調べると、青春18きっぷを使って普通列車で行くのが安くて現実的と言うこと、広島までの終電は17時40分頃と言うことが分かった。(注:当時はパソコンや携帯電話がまったく普及していない時代です)
その時の時刻は16時頃で、迷っている時間はなかった。
電車の乗り換えの駅と時刻、会場への行き方をメモし、ヨウヘイ・ヨシツグ・カオルの3人が行くことに決まった。
3人になったのは、もちろん青春18きっぷが5枚だから。
一旦家に帰り支度をして、駅で待ち合わせた。
駅に着いたのは出発数分前、まさに間一髪だった。
ドタバタで出発したこともあり、3人はハイテンションだった。
普通列車で6時間、何と言うこともなかった。
ポケカの話もポケカ以外の話も盛り上がり、山陰本線では車内に他のお客さんがいない上にほとんど停車しないので熱戦が繰り広げられていた。
4ヶ月前はトクヒロくんがカメックス+オーダイルで私達を圧倒していたが、この4ヶ月でセイゴはカメックス+オーダイルを完璧に仕上げ、テストプレイヤーを務めていたカオルはプレイングを100%マスターしていた。
ヨシツグは、セイゴやカオルの意見を多分に聞いていたが、3枚だけ異なるデッキを使っていた。
2人がカメックス+オーダイル一択と考えた中、ヨウヘイはバクフーン単を使い、2人を圧倒していた。
ヨシツグとカオルは最初はまぐれだと思っていたが、その圧倒的なスピードに付いて行けず、実に90%のゲームを失っていた。
中国・四国大会の中学生・高校生部門は640人の定員を僅かにオーバーし、当日抽選となった。
当日抽選で落ちるのは指で数えるほど、落ちるわけはなかった。
10人1グループで3戦の予選を行い、上位1名が本選へ進出、最大で5人が全勝となる恐ろしいほど厳しい形式だった。
ヨウヘイ、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
ヨシツグ、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
カオル、3勝0敗、引いたサイドカード18枚。
3人揃って本選へ進出。
本選開始時に3人が辞退し61人、2人が予選成績の偽装で失格になり59人。
ヨシツグは1回戦で敗退しベスト64。
ヨウヘイは4連勝後に、体調不良により準決勝を辞退しベスト8。(当時は辞退した場合、1戦前の人が繰り上がったため、1戦前の勝利が取り消された)
カオルは5連勝で決勝に進出。
決勝の相手のデッキはリザードンだったが、ダメージカウンターを1個も乗せられることなく6-0で勝利し、ジムに2度目の優勝をもたらした。
4日の間に2会場連続で優勝、私達は紛れもなく大きな流れを作っていた。
カオルはデッキ構築を一切せず、渡されたデッキを正確にプレイングして意見をフィードバックするテストプレイヤーというポジションだったため、全国大会に出場するのは不適切と考えており、全国大会出場を辞退した。
マスタージャッジを務めていたトリイさんは、カオルのプレイングを食い入るように見ており、その速さと正確さを高く評価していた。
スタッフの1人が「全国大会での優勝の可能性も高いのに勿体ない」と漏らすほどだった。
準優勝者が繰り上がりで全国大会に出場したが、準々決勝でヨウヘイにも0-6で敗れていたことが分かり、私達は7勝2敗のプレイヤーが全国大会出場という珍事の当事者となった。
ヨウヘイ「準々決勝の対戦相手が同じ炎のリザードンを使って決勝まで進めたのだから、オレも決勝まで進めたはず」
カオル「ヨウヘイが決勝まで進めば優勝はできなかった」
コメント
読んでいて、あまりに面白いので、何度も読み直してしまいます。
毎回長文で大変だと思いますが、続きを楽しみにしております。
続編を書き始めたはずなのに早速大ブレーキで申し訳ないです。
15年の年月があり、喜怒哀楽だらけのため、歴史を振り返るだけで笑える話はたくさんありますね。